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管理番号 200321
質問 Question 昭和20年に荊沢で米軍の爆撃があり、巨摩高女の女学生が犠牲になったときいたが、そのことが記載されている資料はあるか。
回答 Answer 甲西町誌の「町の歴史」の「空襲の被害」の欄に、昭和20年7月30日午後3時20分ごろB29の爆撃で、荊沢で3人の子どもが犠牲になったとの記述がある。大杉イネ方居住の土屋けい子(当時15歳)、土屋晴男(11歳)と、志村廉蔵方居住の五味倫(11歳)の3人の子どもである。そのうち女の子はひとりだけなので、その子が巨摩高女の女学生ではないかと思われる。
甲西町の遺族会で発行した手記『悠久の愛は変わらじ』には、甲府空襲で焼け出された土屋さん一家を、自宅に居住させていた大杉イネさんの手記があり、けい子さんと晴男君の亡くなった詳しい経緯が記されている。(けい子さんが巨摩高女の学生だったとの記述は無い。) 
回答プロセス 甲西町の方とのことなので地域資料を探したところ、『甲西町誌』と甲西町の遺族会で発行した手記『悠久の愛は変わらじ』に、それらしき記述が見つかった。
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