レファレンスデータサービス - 事例詳細
管理番号 | 200241 |
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質問 Question | 甲西地区にある南湖報徳社の歴史について知りたい。 |
回答 Answer | 南湖報徳社の発端の南湖村は、天正年間釜無川の大はんらんにより、耕地はもとより人家まで押し流され、収穫皆無の惨状であった。さらに滝沢川が西にあり、豪雨のたびに被害を受け、住民の生活を脅かすこと多年にわたっていた。 こうした立地条件の中、地域住民は志を一つにして、災害を防ごうと自らの力で郷土建設をはかり、勤倹貯蓄をしようとする意識が高まった。その当時の青年有志が、二宮尊徳の報徳思想の会を見学したところ大いに感銘を受け、早速、報徳社の構想をたてた。その後明治29年2月に創立総会を開き、名称を西南湖報徳講とし、規約を定めた。 |
回答プロセス | 甲西町誌を紹介する。「郷土研究こうさい」にはその当時の様子が詳しく書かれている。また、山梨百科事典の「報徳社運動」には、山梨県内の様子について書かれていることを紹介する。 |
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